| 八ノ子島 |
海の駅船番所からきれいに見ることができます。
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若杉 兆介先生
南蛮船、横瀬浦入港の図 |
横瀬の港に入る貿易船は、八ノ子島の十字架を目印にしてきました。いまその島の頂上に白く輝く十字架は1962年(昭和37)に復元したもので、横瀬浦のはなやかな歴史を物語るように、各所にその史跡が見られます。今よりもっと深かった入江には、船つぎ跡が残っている石垣のあたり一帯がそれであり、上町、下町の名称が残り当時の面影を伝えています。
西海市観光協会
TEL:0959-37-4933
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| 横瀬浦公園 |
横瀬浦公園
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天主堂(教会)が建てられた場所で港が一望できます。 |
横瀬浦は、1562年(永禄5)大村家の領主、大村純忠が、平戸を追われたポルトガル人の貿易船を回航するように勧誘して開かれた港です。布教長トルレスはこの港を「御助けの聖母の港」と命名。貿易と信仰の村をまたたく間に作り上げた大村純忠は、何回となく横瀬浦を訪れ、みずからも重臣25人とともに洗礼を受け、日本初のキリシタン大名となりました。しかしこの港は、翌1563年暴徒たちによって焼き払われ、わずか2年足らずでその歴史を終わり、1571年長崎の開港へとつながります。横瀬浦は長崎におけるキリシタン文化発祥の地となりました。
今でも、往時をしのばせる天主堂跡、大村館跡、南蛮船来航の記念碑などの史跡が点在し、西海町では、南蛮船来航の地としての歴史を活かし、横瀬浦地区を史跡公園ゾーン、港ゾーン、町並みゾーンの3つのゾーンで構成する新たな公園整備を進めています。
西海市観光協会
TEL:0959-37-4933 |
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| 中浦ジュリアン記念公園 |

中浦ジュリアン記念公園
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▲天正遣欧使節
「中浦ジュリアン」
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▲中浦ジュリアン顕彰碑
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1852年(天正10)2月20日、大友、大村、有馬三大名の使節として、ローマに派遣された天正遣欧少年使節の一人中浦ジュリアンは、大村領中浦城主小佐々甚五郎の子として生まれました。史跡指定地は館(たち)と呼ばれている場所で近くに城ノ山(じょうのやま)と呼ぶ山城跡があって、付近の集落を垣内(かきうち)、南東に隣接する低地を御園(みその)といいます。ジュリアンら4人の少年はローマ法王・スペイン国王に謁見するなどヨーロッパの各国で大歓迎を受け、1590年帰国した。彼らの旅行記は数多くの書物で紹介され日本と西洋との文化交流に大きな役割を果たしました。帰国の翌年京都にて豊臣秀吉に謁見。その後、ジュリアンは天草にてイエズス会に入会し修練院で学びます。
1601年マカオに留学。41歳でキリスト教神父となり九州各地で布教に努め、徳川幕府の激しいキリシタン弾圧の中、捕らえられ1633年長崎西坂の地で穴吊の刑により殉教しました。刑場でジュリアンは民衆にむかって「私がローマに行った中浦ジュリアン神父です」と叫んで亡くなったといわれています。65歳の生涯でした。
西海市教育委員会
TEL:0959-37-0138 |
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| 船番所跡 |

船番所跡
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1714年(正徳4)大村伊勢守純庸の代に、唐船沖買い、内海往来の商船改めのため、時の長崎奉行大岡備前守の指図によって建てられたものです。平戸領向後番所と相対します。 |
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| 唐人墓 |

唐人墓
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唐(現、中国の前身)の人、または外国人の墓と思料さえ、1600年(慶長5)ごろのものと推定されています。 |
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| 面高遠照院寺宝 |

面高遠照院寺宝
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このお寺は1596年(慶長元)、京都仁王門通り北門前に日蓮宗本山妙伝寺塔中として、最上院依頼上人によって創立されたもので、1895年(明治28)面高の日蓮宗信者たちの手によって、この地に移転されました。寺宝として現存しているものは、そのとき京都から持ち下ったものです。
1.日蓮上人木造彩色尊像
京都本山妙伝寺にまつられたものを持ち下ったもの。大きさは、等身大で、木造彩色の座像である。胎内には下記のように墨書されています。
「天文七年(註.1538)8月22日彿師運勢
寄進薬王興七某」
その後1729年(享保14)に大修理。さらに1937(昭和12)にも補色修理されているが、県下に現存している日蓮上人聖像としては最古のものです。
2. 嵯峨天皇筆跡一葉一包
嵯峨天皇書写の経文を切ったもの
3.日蓮上人筆跡 くも下一葉一包
4.日蓮上人日蓮書写一切経之内、法華堂日蓮上人筆経文切忍性上人遺物の内、高山寺
この両切とも京都から伝えられてもので、日蓮上人の真筆。本県では珍しいものです。
5.堂造り誕生仏
この像は高さ15cm。室町時代中期に、京都で鋳造されたものと言われています。県下にある小仏像としても、誕生仏としても貴重な存在です。 |
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| 天久保館跡、貝塚 |

天久保館跡、貝塚
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天久保武蔵の屋敷跡といわれ、この地帯から帰命寺のうち手にかけて古墳があり、この一帯を俗に”カイガラ畑”と呼ばれています。無数のカイガラ、石鏃が見られます。近くにドルメン(支石墓)もあります。 |
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| 太田和氏の館跡と五輪の塔 |

太田和氏の館跡と五輪の塔
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この地の豪族太田和氏の館が所在した場所で、五輪の塔には蘭文が刻んであり、禅定門神儀天文23年(註.1554)11月と刻まれています。 |
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| 西彼杵半島猪垣基点 |

西彼杵半島猪垣基点
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西彼杵半島は、現在でもイノシシの多いところで、史跡に指定された猪垣の基点には、「亨保七寅年」(註.1722)の年号が、いまも残っている。当時の中浦村庄屋郡仙右衛門が、村人のために近隣の庄屋ともはかり、8年余をかけて完成した石垣と言われています。
その遺構は、野石と下幅約1.5m、高さ約1.5mに積み重ねてつくった石垣で、西彼杵半島の尾根の随所に残っています。 |
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| 七ツ釜鍾乳洞 |

七ツ釜鍾乳洞
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この鍾乳洞は、江川内川の左岸にあり、県下唯一の鍾乳洞である。地質は石灰質砂岩で、多量の石灰藻化石を含んでいます。海底が隆起したあと、浸蝕作用で石灰質が堆積してできたもの。鍾乳石や石筍の発達は少なく、国の天然記念物にしてされています。清水洞は、1kmぐらいまでははいれるというが、入り口から約600m、千枚積にはいるのは困難です。
清水洞には高さ約10mの清水の滝や、約4mの大石柱があり、これだけに生息するといわれる洞穴動物(虫)も発見されました。
夏の最高温度は14.5度で、平均温度15度で涼しく、洞内は幻想の世界をしのばせ、神秘さを漂わせています。 |
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